表面的なことを言えば「ネットの炎上について言及してくれないからnoteのメンバーシップ解約します」と 「ネットの炎上なんか相手にせずもっとnoteの読者を大事にしてください」という意見がほぼ同時に来たので大変うんざりしたというだけの話です。
ただ、私が言いたいのは「意見の内容が気に入らなかった」という話ではなくもっと根本的な問題として「信頼残高」の問題です。
簡単に言うと「普段は書いてる記事についていいねもしないしコメントもしてくれないのでnoteをどのくらいの温度感で見てくれているのかどうかがわからない」という立場の人。
つまり他のことはともかくブログやnoteについてはいくばくも私から信頼を勝ち取れていない人から
いきなりこういうかなり信頼残高が高いことが前提のセリフがポンと飛んでくると戸惑うということです。
しかもこの二人には以前にこういう話題に物を申したいのであれば普段からちゃんと読んでることを示してほしいということを言っていたのに、です。
特に、「ネットの炎上について言及してくれないからnoteのメンバーシップ解約します」側の人はこの信頼残高の概念がマジでまったく理解できていないようなので
一度「信頼残高」の概念だけでも知っておいて貰う必要があると思うのでまとめておきます。
(逆にいうも、もう一人の方についてはYouTubeで毎回コメントしてくれているのでYouTubeについての言及であれば素直に聞けたと思います)
「7つの習慣」において個人的に最も重要な概念だと思っている「信頼残高」の考え方
ぶっちゃけ私の中では7つの習慣って全然心に響かなかったので、今7つを言えと言われても構造的な話しか思い出せません。
3つが内面・3つが対人関係。まず内面の問題から改善し、それができたら外面へ進む。そして常に「刃を研ぐ」という7つ目の習慣が必要、くらいの認識しかありません
というか、みなさんも4番目の習慣である「Win-Winを考える」くらいしか覚えてないんじゃないでしょうか。今検索しないで7つ全部をちゃんと説明できる人いますか?
そんな私ですら、「信頼残高」の考え方だけは印象に残っててよく覚えています。
実際、著者は最後の作品としては「信頼」をテーマにした本を書かれており、これが特に中核的な概念だったと考えていると思っています。
信頼残高とは?
相手を思いやる言動や約束を守ることで「預金」(信頼)が増え、不誠実な言動や約束を破ることで「引き出し」(信頼の喪失)が発生するというものです。そして、ここに重要な視点が加わります。それは、相手に何か意見を言ったり、助言したりすることは、まさに「引き出し」行為であるという認識です。
私たちは、しばしば「正論を言えば伝わるはずだ」「相手のためを思っているのだから、聞いてもらえるはずだ」と考えがちです。しかし、どれほど正論であったとしても、どれほど相手のためを思っていたとしても、意見を述べるという行為は、相手の意思決定や行動に影響を与えようとするものです。これは、相手の自律性や価値観に触れる行為であり、ある種の「心理的なコスト」を伴います。このコストを支払うのが、まさに「信頼残高」です。
信頼残高が不足している状況での意見表明は、様々な形でコミュニケーションの悪循環を生み出します。
意見の拒絶と反発:信頼されていない相手からの意見は、たとえ内容が正しくても、多くの場合、感情的に拒絶されます。「またあの人が何か言ってきた」「どうせ私のことを理解していないくせに」といったネガティブな感情が先行し、意見の内容そのものが吟味されることなく排除されてしまいます。
関係性の悪化と疎遠:意見を言われるたびに不快な思いをする経験が積み重なると、相手はあなたとの接触を避けるようになります。会話が減り、情報共有も滞り、結果として関係性は希薄になり、場合によっては完全に疎遠になってしまうこともあります。
1️⃣不信感の増幅:「この人はいつも自分をコントロールしようとしている」「私のことを信用していないのではないか」といった不信感が募り、あなたの行動すべてが疑いの目で見られるようになります。そうなると、たとえ純粋な意図で行動したとしても、それが相手にはネガティブな意味で受け取られてしまうという悪循環に陥ります。
2️⃣孤立とパフォーマンスの低下:特にビジネスの場面では、信頼残高不足はチーム全体のパフォーマンスに深刻な影響を与えます。意見が通りにくくなるだけでなく、協力を得られなくなり、結果として個人の仕事の効率や成果も低下します。孤立感は、精神的なストレスにもつながりかねません。
このような悪循環を避けるためにも、私たちは「意見を言いたくなった時」にこそ、一度立ち止まり、自問自答する必要があります。「自分は今、相手にとって十分に信頼されているだろうか?」「この人との間に、意見を言うに足るだけの信頼残高は積み重なっているだろうか?」と。もし答えが「ノー」であれば、その場で意見を述べるのは賢明ではありません。その代わりに、まず信頼残高を積み重ねることに意識を向けるべきです。
なお、私は「信頼残高が不足している状態で、他人にきついことを言いがち」だったので、以前は信用残高が全然貯まらない人でした
そのせいで昔から他人とあまりうまく人間関係を築くことができませんでした。
この概念を知ってからは「信頼残高が無いとなんもできないんだな」ということで初対面のときはどんな相手でも信頼残高を積むことを意識して接します。
その上で相手の反応を見ます。
そして「大事に付き合いたいと思う相手」や「相手がこちらに対して信頼残高を積もうとしてくれていると感じる相手には」信頼残高を常に積み重ねたいと考えて行動します。まぁ難しく言ってますがシンプルに言えばデンジ理論です。これは誰だってそうだと思いますが、「俺のことを好き」という部分にロジックをつけているだけです。
「俺のことを好き」の部分が曖昧とかその人の自己申告に任せる方式だと、いくらでも「好き」だと言えるからです。そうではなくて相手の好意がちゃんと「信頼を積み重ねる行為」に結びついているかどうかがポイントです。私の母親は口では私のことを好きだと繰り返し言ってくれる人でしたが、私を傷つけることばかりするので違和感を感じていました。なので、相手の主観で好意があるかどうかはどうでもいいです。私にとって信頼に値する態度を取ってくれること、が私にとっての「俺のことを好きな人が好きだ」となります。
しかも、これについては誤解がないように明記しています。
www.tyoshiki.com
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yoshikimanga.hatenablog.com
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そのうえで、それでもなお「好きだって言ってるだろ。俺の好意を疑うのか」と自分流に拘って開き直ってる人は
いくらその人なりに好意を示してくれても的を外しているので信頼残高はたまりません。
そんなこんなで相手が信頼残高を軽視していると感じた場合、少なくとも付き合い方がどうしても淡白になります。
しかしここで重要なのは、自分で相手のことを決めつけないということです。
たとえ一時的に信頼残高がマイナスになってしまったとしても、相手がこちらに対して「きちんとした扱い」をしてくれると思ったらこちらも丁寧に接します。接するまでは自分の好き嫌いが重要ですが、いざ関係性ができた後に相手が尊重に値する人間かどうかは「相手が私にどういう態度で接するか」という点が重要になります。
私は基本的には人を信頼して生きたいと思っていますが、これは「信頼できない人が怖くて身近にいると怖い」という恐怖感の強さの裏返しです
なので私の好き嫌いよりも「信頼残高が低い人」にはあまりリソースを割きたいと思いません。
そして、これは相手もそうだと思っています。
なので、冒頭のように2つの意見がバッティングする場合、(是々非々を自分で判断するというのが大前提ですが)どちらが正解かは人次第ということであれば信頼残高が高い人の意見を採用する可能性が高いです。
この考えは、自分に自信を持つという意味でも大事だと思っています。
・「誰でもいいから自分をかまってほしい」状態から、「この人に信頼されていれば自分は大丈夫」と思えるようになるからです。
・相手に対して、自分がちゃんと信頼を得るような積み重ねられているのであれば、そうそう簡単に他人から関係をきられるとか怯えなくても良いと思うからです。
重要な人間関係についてはモニタリングして人間関係を管理することで少し安心できるかもしれません。
また、自分も相手をどのくらい信頼しているかとか、相手がどのくらい自分にとって大事なのかが可視化できるので優先度がつけやすいと思います。
つまり、「この人からは絶対に切られたくない」という人には丁寧に接すればいいし、「この人はまあどうでもいいな」という人からなんか言われても動じにくくなるかもしれません。
「対人距離感がおかしな人」が唐突に変に馴れ馴れしくなったり、急にメンヘラムーブをかましたとしても、自分なりの基準を持っていれば多少耐性が働くかもしれません。
こういうの面倒くさいと思う人も多いでしょうから、自分にとってメリットと面倒くささを考えた上でどうするか決めれば良いんじゃないでしょうか。