美濃部 正(みのべ ただし、1915年〈大正4年〉7月21日 - 1997年〈平成9年〉6月12日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵64期。最終階級は海軍少佐、空将。旧姓は太田(おおた)。夜間戦闘機部隊「芙蓉部隊」指揮官として、全軍特攻方針の軍上層部に抵抗し、特攻を拒否したとして紹介されることが多いが[2][3][4][5][6]、特攻の精神そのものは否定しておらず、むしろ特攻への確固たる信念を持つゆえに現状の特攻作戦[注釈 1]を邪道と見ており[7]、これに賛同せず難易度が高い夜間攻撃に特化した部隊を造り上げた。決定的な戦機到来の暁には美濃部自身が先頭に立って特攻をかける覚悟であった[8][9]。 1915年7月21日、愛知県高岡村(現豊田市)で自作農の太田家に六人兄弟の次男として生まれる[10]。父親の太田喜四郎は若くして、今の農業協同組合にあたる信用購買販売組合を立ち上げたり、消